こんにちは。
2019年4月30日、東京からお送りします。
なぜ敢えて2019年表記をしたかと言うと、
「いい加減「平成最後の」の濫用が過ぎるな!?」
と思ったからです。
今日は、もしかすると人生でもう一度位体験するかもしれない改元の瞬間に立ち合う記録として、うんざりするほど聞いた「平成最後の」記録を残そうかと思います。
新元号が決まってしばらく、
去りゆく平成、来たる令和に思いを馳せて
様々なメディアで特集が組まれ、
多種多様な商品に平成と令和の文字が組み込まれました。
その時点で、自分としては
「改元でここまでhappyに経済回せる日本って平和だな、、、」
位にしか思っていませんでした。
だって、日本でしか通用しない元号にどれだけの意味があるのかっていうと、ねぇ?
ただ、今回の改元が、前天皇の崩御を意味しないことは、大きな意味のあることかもしれないとは思っています。(この上なく不躾に言うと、天皇制の働き方改革的な...時代も象徴しているなぁ、と)
いい加減鬱陶しくなったの4月半ばからの半月感。
「いやいや、一旦落ち着こうよ...?」と。
平成を振り返るのも大切だけどさ、
なんかもっとこう取り上げることないの?と。
メディアもそれ以外も、意味なくなにか枕詞のように「平成最後の」をつけて、
一体この1ヶ月でこのナンセンスな5文字を読むのにどれだけの無駄な労力を費やしたのだろうか...
「よい令和を〜〜!」なんて意味のない挨拶をして。
でもまぁ書いてるうちに段々と、
そんな騒ぎも平和でいいじゃないか、
って気持ちになってきました。
あと1時間でこのお祭りも終わるからでしょうか。
お願いだから神様、
「平成最後の」祭りに参加した人には、
「令和最初の」祭りの参加券を与えないでください。
なんとなく大衆化されずに、
静かに令和の響きを楽しみたいなと思う私でした。
平成最後の日に。