LIFE is HARD だけど HAPPY

LIFE is HARD だけど HAPPY

旅行記メインの徒然日記。櫻井の翔氏が好きです。ブログタイトルは嵐5人出演映画からお借りしています。

櫻井翔のファンなのに、バラエティで見ると共感性羞恥で苦しくなるのが辛い

 

タイトルの通りです。この現象、実は去年からずっとあったのですが、ファンと公言している以上言い出せなくて心の内に閉まってました。

でも、推測の域は出ませんが理由が分かってきたので整理してみようと思います。

櫻井翔 共感性羞恥

特にVS嵐のエピソードトークが辛い

まず、どういう時に共感性羞恥で辛くなるかと言うと、翔さんがメインでエピソードトークをしている時。特にVS嵐を観ている時に多いです。つっ込んだり、話を回している時はいいのですが、「俺の場合は~」という風に自分のエピソードを話出すと、不安感と羞恥心と緊張感が混ざり合ったような、変に動悸が不規則になるような、そんな感覚に襲われます。話が終わるとなんともなかったかのように通常運転に戻るし、話も面白かったと思えるのに、なぜこんな風になってしまうのか、自分でもずっと不思議でした。

翔さんは話が長め

最初に断わっておくと、貶してないですからね。untitledの嵐の嵐会観てても思ったんですけど、翔さんは「視聴者を置いてけぼりにしない」ための話方ができる人で。分からない人が出そうな部分は、最初から補完して話してくれるんですよね。それはとても素晴らしいことなのですが、他のメンバーに比べると話が長くなりがちかな、と思います。でも、それでも私みたいなタイプでなければ全く問題ないんですけども。

 

 

社会人、自分語りしがち

社会人になって数か月経ってから、表題の現象が起こること気が付きました。おそらく理由の1つに、自分語りしがちな世代と接する機会が学生時代に比べて圧倒的に増えたことが挙げられるんじゃないかと思います。これ、本当自分も気を付けないとと思うんですけど、自分の人生経験が他者に役立つと思っている40~60代多すぎる。1聞いて1返してくれれば満足なのに、1聞いたら1+0×100みたいな返し方してくる人間が多過ぎてとてもしんどい。そして、それをしんどいと思い過ぎて、自分がそうなっていないか、会話の中で話過ぎていないかを過度に気にするようになってしまった。と思います。

 

共感性羞恥ってしんどい

先の2つの理由から、翔さんが話始めると、まるで自分が話している時のように「この話はちゃんとおちるのか」「話が長いと周りに思われないか」という超絶お節介な不安感が出てきてしまうんだろうという結論に至りました。私がテレビで見ているのはプロが編集した映像なのだから不安になる要素なぞ0に等しいのに、本当共感性羞恥って厄介。理由に思い当れて少し辛さは軽減されたものの、だからと言ってこれから何も感じることなく翔さんのターンを観られるかと言われればそうではないと思うのがなかなかしんどいところですね。むしろ上の世代の人にこそ気にしてほしいことなのに自分自身が囚われてるのちょっとウケるな。(ウケない)なんか、書き出したらすっきりするかと思ったのにそうでもなく、少しばかし疲れましたとさ。

 

おしまい。