タイトル通りですが、活動予定だったパラリンピックのボランティア活動が中止になりました。
2018年に応募した時には、大会が1年延期になることも、ユニフォームまで支給されてから自分の活動が1日もなくなることも全く考えていなかったので、世の中本当に何が起こるか分からないなあという気持ちです。
ボランティアに申し込んだ最初のきっかけは、嵐がTokyo 2020スペシャルナビゲーターに就任すると知ったからでした。当時嵐と同じ方向を向いて、彼らが感じるものを少しでも共有したいと思った私は、就職前で仕事を休めるか等何もわからないまま(最低10日以上の活動が必要だった)とりあえず応募ボタンを押しました。「櫻井くんにインタビューされたらどうしよう?」なんて笑いながら。
自国開催のオリパラは一生に一度かもしれないので、どう転んでも面白い体験ができるのではというワクワク感も確かにあったと思います。
2019年、面接や研修がありました。
同じボランティアとして活動予定の大勢の人と出会い、グループワークをする中で色々なお話を聞きました。64年大会を知っていてとても楽しみだと語る年配の方、会社から有給が出るのでどうせならと思って応募した社会人、日本人の友達を作りたいと話してくれた外国の方...正直あまり思い出すことはなかったですが、今この時になって彼/彼女達は活動の機会があったのかな?と思い出されました。
一番純粋に活動を楽しみにしていたのもこの頃だと思います。
1年が過ぎ、3月に役割決定のメールが届きました。私はパラリンピックのみのオファーでした。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、それから1ヶ月が経たないうちに東京2020の1年の延期が決まりました。
8月、2021年度の大会日程が決まったことを受け、延期後のボランティア活動の継続意思を確認する連絡が届きました。いつでも辞退できることもあり、この時点での私の姿勢は「様子見」でした。
年が明け、オリンピックの開催是非の議論が活発化していったように思います。職場でも「感染が怖いから辞退した」という人の話を聞きました。
2021年用の新しいシフトが5月に届きました。最初と同様パラリンピックのみの活動、活動期間は3日間に減りました。会場も変わったと記憶しています。この時点でも私の気持ちは決まらず、とりあえずオファーを受けることにしました。
聖火リレーが始まっても、オリンピックが始まるその直前まで正直「ほんとに開催されるのか?」と半信半疑でした。ただし、自身のボランティア活動については、「やると決まって始まった際には全力でお手伝いしよう」と決めました。活動日までにfully vaccinatedの状態であることがわかったのもあり、自分が関わる意義はあるのではないかと思いました。
一方、無観客開催が決まったことで私がアサインされているEVSチーム(主な活動は観客対応)はオリンピックでの活動が無くなったという話を聞きました。配置換えで活動の機会を得たボランティアもいれば、なかなか調整が進まない方もいるという話を聞き、自身も覚悟しておく必要を感じました。
オリンピックが始まり、選手だけでなくボランティアの活動に関するニュースを見るようになりました。誰もが応募当初は想定していなかった状況で、きっと様々な葛藤を経て、もしかしたら抱えながら活動しているんだろうなと思うと何故だか泣きたい気持ちになりました。
開催少し前から、元々話していた親しい友人や家族以外にはボランティアをする予定であることは隠していました。私自身、開催するなら成功のための一助を、と思っていましたが、開催の是非に関して絶対開催すべきだ、と思っていたわけではありませんし、今も手放しで開催してよかったとは言えないというのが正直な気持ちです。色々な面で影響を与えている新型コロナウイルスの感染拡大とオリンピックの開催是非を考えたときに、ボランティアの参加を自分から口に出す気分にはなれませんでした。
オリンピック終盤、ユニフォーム等の受け取りに行きました。ユニフォームの受け渡しなどをしてくれた方々も恐らくボランティアの方なのかなと思います。一瞬のふれあいでしたが、周りにボランティア仲間がいない私にとって、なんだかホッとする時間でした。
16日に、パラリンピックの無観客開催が決定しました。それに伴い、EVSチームの活動は学校連携対応に縮小されることになりました。1人当たりの活動日は半日になりました。また、予定されていた会場別研修も中止になりました。(*会場によって対応が違うかもしれません)
再度、気持ちが揺れました。文面から、学校連携に多くの人手が必要なようには思えませんでした。デルタ株が猛威を振う中で、例え半日でも行かない方がいいんじゃないかと思えました。一方、ここまできたのだから活動したいという気持ちも正直ありました。
先ほど、学校連携の対応も中止するとの連絡をいただきました。ここまで振り返って書いてみても、自分の今の気持ちを表すいい言葉を見つけることができません。ただ、感染状況を考えると適当な判断だと思いますし、連絡をくださる組織委員会の方の対応は真に誠実で、その点への不満は全くありません。結局ユニフォーム泥棒のようになってしまいましたが、パラリンピックは画面の前で選手たちを精一杯応援したいと思います。
ボランティア活動自体はなくなりましたが、約3年間Tokyo2020に関する色々を自分ごとに捉えられたり、複雑な感情を持ったのはあの時応募ボタンを押していたからだと思います。
またどこかで機会があれば。
計らずも、スペシャルナビゲーターを5人で全うすることのできなかった気持ちと少し同じ方向を向いた結末だったのかもしれません。。